”おう”と言っても、ピラミッドの頂点に立ち俯瞰する”王”ではない。
最上層の者が下層の者を”赤の他人”として使い捨てする様なものでは断じてない。
”おう”とは人々の中心・中央|(おう)に座す。周りがあるから中心も存在する。
人々は他人ではなく、家族も同様なのである。
そんなとても有り難い者について、ことわけて書かれているのが『ひふみ神示』だ。
今の世界の有り様は全く以って前者だが、神示にはこうある。
「神示うつして下されよ。世界
にうつすことよろこびぞ。地に天国うつすことぞ。六ヶ敷いことないぞ。今の裏のやり方、ひっくり返して表のやり方すれば、それでよいのぢゃ」折りたたむ>>続きをよむ