ケンは物心がついた頃から自分が自己中心的な存在であることを知っていた。何故、自分で自分自身の感情や欲望を押さえなければならないのか、という事がケンにはよく理解出来なかった。いわゆる自己制御はケンにとって堪え難い苦痛を伴った。自分以外の子供
や周りの人間達の言動は常に不可解なものであった。
ケンは途轍もなく我儘な子供だった。親はもとより周囲の人間達はケンに対して野生の動物を調教するのと同様の方法を用いる以外に手は見いだせなかった。周りの仕打ちに対してケンは燃えるような憎悪と憎しみを感じては報復し、又、それを繰返した。
――親も含めて誰もがケンには人間的な学習能力が生まれ付き欠落しているのだと思った。だが、小学校に入る頃にケンの態度が一変した。それまでの反抗的な言動が嘘のように無くなった。暫くは周りの大人達はその急激な変化に戸惑ったが、その内に気にしなくなった。しかし、ケンの本性が少しも変化してはいないと感じていたのは同世代の子供達だった。まともな抵抗が無駄だと骨身に感じて悟ったケンは、単に自己防衛の為に表面的な反応を消したにすぎない
ケンの瞳には前以上に獸に似た強い意志的な光が宿っていた。
折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2024-12-31 02:48:53
680文字
会話率:0%
「道徳とはなにか」「なぜ道徳的であるべきなのか」という問いに対して、自分なりの考えを記す。最終的には、人びとの考えを一致させるための条件をまとめたものになる。行為の具体的価値評価をする規範(行為基準)としても有用な理論になるはず。
基本的
な立場としては超越論的観念論(非実在論)、ダーウィニズム、絶対主義(異なる人の間で一致する道徳の答えがありうる)で、真理観は徹底した整合説を採る(いわゆる対応説は採らない)。そのため相対主義と実在論は否定し、客観的な道徳理論(規範倫理学)の構築を目指すことにしたい。
その過程でカントの義務論、ミルの功利主義・自由論、ヒュームの道徳哲学、アリストテレスの徳倫理学などを一つの原理のもと統合し、カントの認識論やヒュームの経験論および因果論も参照しつつ、論理学、心理学、脳神経科学、進化生物学などとも整合する形で人間の実践的判断の仕方をあきらかにしたい。
また、完全義務と不完全義務の区別基準(第五章)、トロッコ問題(第六章)、自由意志と責任の関係(第九章)、自由意志と決定論の問題(第一〇章)など、道徳をめぐる伝統的な難問にも解決策を提示している。
慶應義塾大学准教授の杉本俊介氏のウェブサイト(https://sites.google.com/site/ssugimoto02jan/research/normative_ethics/introduction)には内的整合性やほかの知見(自然科学など)との整合性、実用性(ジレンマの解決含む)、包括性(できるだけ広範囲の現象を説明できる)、直観適合性など優れた理論というための評価基準がいくつかまとめられているが、すべて満たしている自信あり。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2024-03-31 16:06:16
473765文字
会話率:1%
彼は幾分か卑屈かもしれない。然し、それは彼の自認としては常人の域を出ない。いや、若しかしたらその卑屈さだけで芸人として食っていけるような程度かもしれないが。彼には、そして僕らにも普通というのはわからないのである。
普通というのはまるで雲をつ
かむみたいに捉えどころのない概念だ。まずは時間性から。時間というのは主観的なきらいがあるように思える。そりゃあだって、東日本大震災だって江戸時代の人から見たら未来で、2011年の人から見たら現在で、2022年の我々からみたら過去なのだから。その時間性は普通という概念を知る上での必要条件だ。
次に普通の必要条件といったら矢張り文化だろう。昨今の世界には文化人類学というものがあり、それは文化相対主義を標榜するのが常であるが、だとしたら世界に「普通」は遍在している。
彼からみたら彼自身は普通の人間である。ちょっと頭の良いだけの。然し、当然僕たちからみた彼、この物語とは面白おかしい、抱腹絶倒とまではいかないもののクスリと笑えるものであって--ああ、君たちはまだこの物語を見ていないわけか。では、早速みていただこうではないか。彼と彼の周りが織りなす面白おかしい英雄譚を。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2023-02-06 12:27:53
25237文字
会話率:41%
2022年10月現在、連日のようにニュースで取り上げられているいわゆる”旧統一教会問題”。
一方で、”信教の自由”を理由に旧統一教会を擁護する声もあります。果たして今の教団を糾弾する世間の姿勢は正しいのか? その是非を、文化相対主義の限界と
法治主義の限界の観点から語ってみました。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2022-10-09 12:14:50
4107文字
会話率:0%
意味のない”正しさ”に触れると、反発してみたくなる”僕”は、ある日先輩から”湿潤治療”という治療法の存在を知る。そして、その時からその発想を取り入れた商品を、世の中のメインにするという、僕の革命は始まったのだった…
最終更新:2010-11-21 01:03:51
18415文字
会話率:38%
小説を書くのを趣味にしている”僕”は、友人のKに悪役の書き方が下手だと言われる。それを切っ掛けとして、悪役について語る内、いつしか話題は文化相対主義に流れ… というような感じのやたらタイトルの長い会話小説です(ごめんなさい、長いタイトルを一
度でいいから、つけてみたくって)。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2010-10-31 01:04:07
6835文字
会話率:47%
「おめでとうございます。貴方は超能力者に選ばれました」
① 人智を超えた力を危険視して、根本から超能力を消すのを目論む人格主義の軸屋(じくや)。
*人格主義「人間の尊厳を守ることは、無条件に達成されるべき絶対的な正しさである、とする考え方
」
② 個人の自由を奪う権利は誰にもない。然るべくして、超能力者の在り方も自由を謳う相対主義の赤平(あかひら)。
*相対主義「物事の価値観に優劣はなく、いろいろな考え方があってもよいという考え方」
③ 人類の発展になると考え、超能力は肯定すべきとする快楽主義の南(みなみ)。
*快楽主義「快楽を善とし、苦痛を悪と定義する。人間の本来あるべき健康と心の充足を得るべきだと主張する考え方」
④超能力なんて偽物の強さ。関わらないのが最善であると無視する体験主義の五宝(ごほう)皇真(おうま)
*体験主義「理屈や直感は不確かであり、それよりも自分の体験・経験が大事だという考え方」
*の引用元:吉岡 友治=監修「萌えて学べる!! 思想コレクション ○○主義、○○イズムを擬人化!」(株式会社カンゼン・2011)
これは五宝皇真が猶予1年の植物状態の幼なじみを目覚めさせるべく、超能力の世界で奮闘する。様々な考え方に揉まれ苦しみ成長して幼なじみを救う物語。
*植物状態の人間……遷延性意識障害(せんえんせいいしきしょうがい)
*当小説、文章の著作権は作者『作者名』に帰属いたします。許可なく無断転載、使用、販売を禁止します。
この作品は「ノベルアップ+」にも掲載しています。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2021-10-18 19:55:03
151374文字
会話率:45%
図形の話をしていたと思ったらいつのまにかなろうの底辺の話になっていた。
最終更新:2018-09-12 22:16:58
2453文字
会話率:12%
帝国と魔王軍の戦争は激化の一途をたどり、防戦一方の帝国軍はついに最終防衛ラインを突破されてしまった。
大広間で魔王軍に囲まれた皇帝と、それを守る勇者。敗北必至の戦場で気勢を上げる勇者の前に、ついに魔王が現れた。
しかし、その魔王は二人の
予想とはまったく違う、知的で落ち着いた雰囲気の大男だった。
2018/3/3/1:58 本文に重大なミスを発見したので修正しました。
折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2018-03-03 00:05:56
5429文字
会話率:58%
現代の目覚めた人(ブッダ)が、弟子にその悟りを説く仏経パロディ第4弾。菩薩となる要諦は文化相対主義と説いているようだが、内容の劣化が止まらず、ついに名古屋に恨みを持つ者の犯行と断定、作者が窮地に。
最終更新:2017-02-11 20:51:40
750文字
会話率:36%
マヒルは、ソープ嬢でありながら、不快指数を計測する線量計を身に着けている為、生理
的拒絶を瞬時に避けられる抽象精神保持者である。
印度人プログラマーであるドーシャは、その日目を覚まさなかった。
生命(霊性)が停止していたのだ。
なぜならば、
前日寄った精神科で処方された三環形の抗うつ薬、抗不安薬そして睡眠薬に
よって、腐敗開始前肉体保持死者となっていたからだった。
マヒルは、その人間離れした風貌と濃厚なサービスで吉原でも超人気のソープ嬢である。
線量計は、防衛省から貸与されている。そのかわり税金をはらわなくてはならない。
マヒルは、その後、結婚して具象人間となった。
地下にある百貨店の一角―知性相対主義的病院で、マヒルがDNAコンピュータを
プログラミングしていると、生神がマヒルのお供えしたパンチカードを手に、
存在製造メソッドAを唱えた。
するとドーシャが蘇生したのである。
折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2016-06-27 05:00:00
11386文字
会話率:6%