「我々は400年前にいるのか」
1941年12月、大東亜戦争開戦に伴い、マレー、フィリピン制圧のために、海上移動していた大日本帝国陸海軍、皇軍の諸部隊は驚愕することになった。
状況の異変を把握し、更に情報収集に努めるのにも、中々皇軍は手
間取ってしまい、1541年12月にいることが、ようやく分かった。
取りあえず、フィリピンを仮の根拠地にした皇軍の主力は、祖国の日本を目指す。
戦国時代の戦乱の下にあり、困窮している天皇陛下をお救いし、衰微している国体を回復するために。
そして、この出来事は、当時の日本に割拠していた諸勢力にも多大な影響を与え、更に世界にも徐々に影響を与えることになり、歴史を大きく変えていった。
また、その皇軍の中には、上里松一という海軍少尉がいた。
対米戦の中で戦死を覚悟していた彼は、戦国時代に生きる中で家族を作り、更にその家族が更なる人とのつながりを育んでいく。
その中には、史実で名を馳せた人物もいることになる。
そして、史実で名を馳せた人物も、また史実とは異なる人生を歩むことになる。
そんな80年余りの物語。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2024-10-04 19:40:19
2601786文字
会話率:23%
時は西暦1941年の日本を取り巻く状況は最悪と言っていい状態であった。
1931年、名将“石原莞爾”中将直々の満洲事変を切っ掛けに中国と泥沼状態の戦いに陥ると共に米国との関係も日が経つにつれて極端に悪化していた。
政府や軍部は最早、対米
戦争を回避できない事態を考慮して一撃必殺の作戦を以て米国に大打撃を与えて早期講和を締結してこの泥沼の状況から脱しようと考えていたのである。
その一環として最初における作戦として連合艦隊司令長官『山本五十六』大将提案の真珠湾上陸作戦及び米国本土上陸作戦が採用されて現時点での最新鋭空母を含む大機動部隊を投入する事が決定される。
だが、その作戦に石原莞爾がとんでもないことを新たに提案してくる。
そこから新たな歴史のイチページが開かれることになる。
昭和16年11月28日、択捉島単冠湾から『南雲忠一』中将率いる第一機動部隊が出航する。
航空母艦“赤城”“加賀”“蒼龍”“飛龍”“瑞鶴”“翔鶴”
戦艦 “比叡”“霧島”
巡洋艦 “利根”“筑摩””阿武隈“
駆逐艦 “谷風””浦風””浜風””磯風””陽炎”“不知火”“霞”“霰”“秋雲”
艦載機 350機
日本陸軍3個師団を満載した大輸送船団と共に……。
ここから新たな歴史が記されていく。
折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2024-03-21 22:02:49
201680文字
会話率:39%
大艦巨砲主義かあるいは航空主兵主義か。
海軍内で起きた主導権争いは、だがしかしとある人物の心変わりによって主流派の鉄砲屋ではなく傍流だったはずの飛行機屋が勝利する。
軍縮条約明け後を見据えたマル三計画で帝国海軍は四隻の装甲空母を建造、
対米戦に突入する。
※この作品はカクヨムにも掲載しています。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2023-08-19 16:11:31
157183文字
会話率:14%
対米戦直前のある日。突然、地球が崩壊。神様によって助けられたものの、バラバラにされて異世界へ。魔法あり、魔獣有り、ダンジョン有りの世界。日本は、どう明日を切り開くのか。チートな日本人はいない。ただ中世後期辺りなら、日本は知識チート武力チー
トが出来るはず。日本の明日はどっちだ。
折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2023-06-15 05:00:00
890501文字
会話率:55%
第二次世界大戦、米国と太平洋において戦争を繰り広げていた大日本帝国は度重なる敗退により米国との講和により対米戦を終えることとなった。事実上の敗戦であり東南アジア地域、朝鮮半島、関東州、満州からの撤退や軍の解体、平和憲法への改正など講和条約は
一方的なものとなった。
しかしながらその後の極東は共産主義勢力と自由主義勢力との対立の場となり、日ソ不可侵条約を破棄したソ連が満州及び樺太に侵攻したことから日本は再軍備を認められ、共産主義勢力との戦いに参じることになる。
満州と米国、日本が中国共産党及びソ連と繰り広げた満州戦争等幾多の戦乱を経た大日本帝国は、冷戦においては米国最大の同盟国として極東における自由主義陣営の防波堤として共産主義勢力と激しい攻防を繰り広げ、冷戦を終えた今、復興と爆発的な経済成長を遂げ、平和主義国家と21世紀に残る最後の帝国として極東における自由主義陣営を先導していた。
しかし平和が訪れたかのように思えた現在も日本は水面下で戦いを続けていた。
折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2021-03-01 00:00:00
9317文字
会話率:49%
山本五十六(やまもといそろく)が海軍兵学校を卒業したとき、日本は日露戦争の最中でした。五十六は戦艦「三笠」乗り組みを命ぜられ、日本海海戦に参戦しますが、不幸にして五十六は重傷を負ってしまいます。しかし、その病床で五十六は日露戦争の勝因を深
く考究することができました。
日露戦争後、日本の外交環境はしばらく良好でした。日英同盟、ロシアとの協商、アメリカとの友好などがあったからです。しかし、時勢の変転は早く、ワシントン条約によって成立した太平洋の平和も長くは保ちませんでした。
山本五十六が連合艦隊司令長官になったとき、日本の戦略環境はきわめて厳しい状況となっていました。なかでもアメリカとの対立が深刻化していました。アメリカが対日石油輸出禁止措置をとるにいたり、日本海軍は対米戦争を本気で考えざるを得なくなり、作戦研究が日々続けられました。五十六も懸命に必勝の策を考えつづけます。しかし、きたるべき対米戦争には非常な困難がともなうと予想され、結局、必勝の策は見つかりません。とはいえ、南方資源地帯を確保するための第一段作戦に限れば勝算がありました。南方作戦支援のため、五十六は自身が錬成してきた空母機動艦隊を使って真珠湾を奇襲攻撃すると決心します。
昭和十六年十二月、大東亜戦争が始まりました。真珠湾奇襲は成功し、英海軍の旗艦「プリンス・オブ・ウェールズ」を撃沈することもできました。しかし、これはまだ序の口です。五十六はアメリカを屈服させるため、日本海軍の戦力が優勢なうちに、なんとしても決戦を求めようと部下を督励し、自身も骨身を削ります。そして、ようやく完整したのがミッドウェイ作戦でした。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2020-10-24 14:42:02
199382文字
会話率:29%
ある国立精神病院の看護師黒井逹矢は、入院患者で東條英機から1夜に1話ごとの物語を聞かされる。昭和天皇の御親拝を契機に、昭和16年10月17日の大命降下、その日に、東條英機は、処刑されたはずのA級戦犯の7人とともに黄泉がえったのだ。
黄泉が
えりの東條英機は、なぜか昭和54年の知識を持っていた。そのため、その知識を生かして対米戦争を回避し、なんとか祖国の敗戦を阻止しようと7人で奮闘する。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2019-05-28 21:06:55
219786文字
会話率:57%
帝都を爆撃された大日本帝国。爆撃機はマリアナから来襲したことが判明し、大日本帝国海軍機動連合艦隊の第一連合機動艦隊がマリアナ攻略に抜錨。立ちはだかる米海軍機動部隊。マリアナの制海権を握るのはどちらなのか。
最終更新:2019-01-21 23:00:00
2162文字
会話率:0%
1941年12月8日、大日本帝國は米英に宣戦布告をした。日本が最後まで戦争を回避しようとしたが、アメリカ政府は始めから戦争をする気でいたのは確かだった。
そして、練りに練られた対米戦略を実行することになった。
これは、その前線に立つ軍
人の物語である。
*注意事項*
・この小説は、「遊撃艦隊出撃セヨ!」の大幅修正版です。これは、話の流れが完全に喪失した為、このような措置を取らせて頂きました。
・尚、この修正には「生い茂る青葉」の共同著者であります天城孝幸氏を編集者として迎えさせて頂いております。御了承ください。
修正箇所
序章~開戦のエンジン音~より、日本海軍の正規空母の戦力表示及び竣工間近の正規空母の隻数を修正いたしました。(20150822)折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2015-12-31 19:00:00
70183文字
会話率:45%
※更新再開しましたが、不定期更新になります。
1941年、アメリカはその経済力と軍事力にものを言わせ、亜細亜諸国に対し最終通告とも取れる『ハルノート』を突き付けた。内閣総理大臣山本五十六は各国と協議、対米戦は回避不可能な状況になる。そし
て、対米戦略の初期作戦『大熊作戦』発動を決定。ここに亜米戦争勃発は決定した。
最早逃れる事はできない超大国との決戦、亜細亜諸国に勝機はあるのか・・・
東太平洋に大和の主砲が咆哮する!! 勝利するのはどちらなのか?!折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2013-08-27 00:00:00
71799文字
会話率:48%
1941年、陛下の決断によって、対米戦回避に動きだした日本は米国からの最後通牒であるハルノートの1部を改変し、交渉に挑んだ。
それは、蒋介石政権を正当政府と認め休戦し、吉田茂新外相を通じ英国との友好関係を築くことであった。政府はその後ハル
ノートを受諾し戦火を遠ざけることに成功した。
だが、急死したルーズベルトの後任のウォーレンスは、アジアを米国の経済圏とするため、1945年日本政府に対し宣戦布告した!折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2013-06-26 15:53:56
13586文字
会話率:38%