40歳になるロシア帝国陸軍のヴァレリー・エル・ルシードは「とある理由」から皆の前から姿を消していた。その身をサンクトペテルブルクのとあるカフェの女主人、クララ・スヴェトラーナ・スプツニカヤに匿われていたが、彼女はそのルシードの身がここにいる
ことを彼の部下たちに知らせてしまう。
そして、ルシードはロシア帝国女帝イゾルデ1世から下った「反乱軍討伐」の勅命を実行するが、「ある判断」がイゾルデの逆鱗に触れてしまう。その後、憲兵から監獄に投獄されたルシードであったが、そのルシードの軍事的指揮力に期待した女が神聖ローマ帝国からロシア帝国にやって来たのであった・・・。
折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2024-11-18 17:00:40
57870文字
会話率:19%
公式企画「秋の歴史2023」参加作品です。
1791年。嵐のためアリューシャン列島に漂着し、ロシアでの暮らしを余儀なくされていた日本人の大黒屋光太夫は、帰国の許可を願い出るため、首都サンクトペテルブルクへと赴いた。
そこ(正確には、
南郊の別荘地ツァールスコエ・セロー)で、光太夫は女帝エカチェリーナ二世に謁見し、お茶会に招かれる。
女帝主催のわちゃわちゃお茶会をお楽しみください。
『女王様はロマンの塊』のスピンオフ(?)第四弾です。
※日本紅茶協会様の㏋には、「(大黒屋光太夫は)1791年の11月には女帝エカテリーナ2世にも接見の栄に浴し、茶会にも招かれたと考えられている」と書かれていますが、実際あり得ない話ではないものの、記録が残っているわけではなく、本作は完全に作者の想像です。
光太夫のロシアでの見聞を聞き書きした『北槎聞略』には娼館に招かれた話まで書いてあるのに、女帝にお茶会に招かれたのならそのことを書き残してないはずがないだろう、とかいうツッコミは無しの方向で(笑)。
時期は、6月28日に女帝に謁見して1ヶ月あまり後、8月頃との設定です。
※ロシアの人名は、名と姓の間に「父称(ふしょう)」といって父親の名を表す呼称が入り、これを敬称として用います。アダム=ラクスマンの父親はキリルなので、「キリロヴィチ」といった具合です。いささか煩雑に思われるかもしれませんが、雰囲気を出すために、「アダム」に「キリロヴィチ」のルビを振る、といった表記を用いています。ご了承ください。
※カクヨムにも掲載しています。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2023-10-10 23:30:34
10576文字
会話率:30%
私はサンクトペテルブルクからモスクワへ帰る列車の中である初老の男に出会う。男は思い悩んだ表情で、唐突に彼の身の上話を始めた。
最終更新:2023-01-22 21:46:44
1373文字
会話率:43%
すっかりウクライナ報道は下火になりました。ロシアの優勢は変わらず、ウクライナのナチ政権が正体を現すに従って、NHKはじめ糞メディア各局は頬被りを決め込むようです。第二次大戦時の大本営報道の反省など微塵もありません。さすが浮かれ商売、エセ「社
会の木鐸」です。インテリくそサヨクも含め国民の大多数はこの暑さにもしっかりマスクで熱射病も日射病もなんのその。救急隊こそエライ迷惑、ただでさえワクチン救急ひっきりなしなのに、このうえマスク熱中症ですか。いいかげんにしましょ
(おなじようなのツイッターに投稿)折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2022-06-26 02:15:48
810文字
会話率:98%
かつて、フィギュアスケート男子シングルで絶対的な実力を持ったロシアの皇帝がいた。トリノ五輪の金メダルとともにアマチュアを引退した彼は、サンクトペテルブルクで記念アイスショーを開催する。懐かしき戦友たちとともに彼は、自らのスケート人生について
思いを馳せる。
✳︎「60×30」の番外編です。
✳︎「お祝いはスパークリングワインで」を一読されてから本作を読まれることをお勧めいたします。
https://ncode.syosetu.com/n0683fp/
折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2020-08-25 22:13:39
17647文字
会話率:27%
二○二三年、ロシア・レニングラード州のサンクトペテルブルク市に隕石が落下し、パブロフスク要塞が崩壊した。
だが、この記事は、各国への混乱を防ぐ為に捏造されたものに過ぎなかった。
事実。
それは、異世界からの魔物の襲来だった。
そして、魔
物を退けたのは、警察でも、軍でもなく、ただ一人の魔法少女であった。
ロシアは少女を軍に、少女は忠誠をロシアに。
今、魔法少女の防衛戦が幕を開く。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2019-10-18 23:23:31
2462文字
会話率:48%
1943年初頭、第二次世界大戦後のソ連政府の受け皿を作るために、連合国の後押しにより、ロシア諸民族解放委員会が、レニングラードを改称したサンクトペテルブルクにて発足しようとしていた。
その発足を寿ぐために、日本からは吉田茂外相と梅津美治
郎陸相が赴いていた。
その頃、日本から遥々派遣された海兵隊を含む日本の遣欧総軍は、第二次世界大戦を終わらせるために、主にサンクトペテルブルク周辺に展開していたが、大量の戦死者等を出したことから、その内実は台湾からの志願兵や女性が、それなりに含まれる有様となっていた。
何としても早く第二次世界大戦を終わらさねば、多くの人がそう想いを交わし、第二次世界大戦を終わらせるための攻勢が春を期して始まろうとしていた。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2019-06-09 19:26:07
181135文字
会話率:19%
2016年モスクワに旅行したときの紀行文です。ロシアの歴史も多少書き込んでいますので、お読みになられて、よろしかったら、今後の歴史の勉強にでも役立ててください。(余り役に立たないかも知れませんが……)
最終更新:2017-12-23 17:00:00
5292文字
会話率:0%
第4次世界大戦勃発前のサンクトペテルブルクで、
少女は苛酷な家庭環境を生き延び、
とある娼婦に数年間育てられた。
娼婦まりあが少女に残した、
生きるための謎解きに、
少女は涙する。
キーワード:
最終更新:2014-10-05 21:33:07
1297文字
会話率:6%