国家占い師である胡晶鈴は、この中華・曹王朝の王となる曹隆明と結ばれる。子を宿した晶鈴は占術の能力を失い都を去ることになった。
国境付近の町で異民族の若い陶工夫婦と知り合う。同じく母になる朱京湖とは、気が合い親友となった。
友人になった
夫婦と穏やかな生活を送るはずだったが、事情のある朱京湖と間違えられ、晶鈴は異国へと連れ去られてしまった。京湖と家族の身を案じ、晶鈴はそのまま身代わりとなる。
朱彰浩と京湖は、晶鈴の友人である、陸慶明に助けを求めるべく都へ行く。晶鈴の行方はずっと掴めないままではあるが、朱家は穏やかな生活を営むことができた。
12年たち、晶鈴の娘、星羅は才覚を現し始める。それと同時に、双子のように育った兄・朱京樹、胡晶鈴との恋に破れた医局長・陸慶明とその息子・陸明樹、そして実の娘と知らない王・曹隆明が星羅に魅了されていく。
折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2021-10-10 15:36:10
251407文字
会話率:61%
現代の曜変天目茶碗をめぐる血族の物語です。
最終更新:2018-04-14 22:08:56
18907文字
会話率:56%
《珠光茶碗》と呼ばれる青黄色をした茶乃碗がある。樂茶碗や天目碗・井戸茶碗・志野茶碗等、人気の高い茶乃碗に比べ影は薄い。此の茶乃碗は茶道開祖と呼ばれる、珠光が見いだし好んだとされる。織田信長が掌に載せ、千利休も用い、歴史に名を刻んでいる。伝世
される何碗かの、どれが本歌であるか、もう存在していないかは模糊である。
私は《珠光茶碗》で始めて茶を喫した時、膨よかな香りと濃厚な滋味と共に、茶に纏わる時を越えた幻翳の様な波動を感じ、心性が共振した。其の伝播された振動を紡ぎ、言乃葉として集め、文字に、小説にしたいと思った。
《珠光茶碗》に係わった茶人の人生を語るのでも、茶乃碗の伝来史でもない物語。《珠光茶碗》により茶人達が恵みの雨に打たれたかの様に心を育て、その積み重なりで〈心の下地〉が変化し〈さび・わび〉という茶乃湯に内在する実体を発見し〈侘茶〉へと辿り着き、茶道の玄旨ともいうべき概念を探り続けた変遷を、文字に刻みたかった。
物語の始まりは、佛道と數寄道の狭間で揺れ動く珠光と、名も無き十二ノ《青黄茶碗》との邂逅。茶乃碗がやかれたのは、茶を競い合う道具としての天目碗が主流であった南宋時代。〈禪ノ心〉を具現する〈空ノ碗〉として、禪僧虚堂智愚の求めに応じ、高麗の血を受け継いだ陶工孝中が、中国で十四ノ《青黄茶碗》を作陶した。虚堂の弟子南浦紹明(大應国師)が十二碗を日本へと伝え。孝中が朝鮮へ二碗、伝えた。
南浦が伝えた《青黄茶碗》は、偶然手に入れた珠光の心を動かした。その珠光が一休宗純・能阿彌・足利義政、そして多くの人と出会い、互いに影響し合って、佛事や賭博の道具であった茶乃湯から、心を中心とした茶道が生まれた。朝鮮へ渡った碗も日本へと伝わり、《青黄茶碗》は人から人へ、名物《珠光茶碗》として伝えられた。村田宗珠・鳥居引拙・十四屋宗伍・武野紹鴎・山上宗二・千道安・千少庵・古田織部・小堀遠州・千宗旦・片桐石州・金森宗和・藤村庸軒・川上不白・松平不昧・井伊直弼らの茶乃湯者が、《珠光茶碗》で心を耕した。
十四ノ《珠光茶碗》は紆余曲折を経て何碗かは滅失し、行方が知れず亡失した。《珠光茶碗》は何時の代でも出会った者の〈心の下地〉を変質させた。今までも、これからも。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2014-05-18 11:02:21
45908文字
会話率:13%
寿永三(1184)年。丹波国今田荘の、ひとりの陶工が見た源平合戦。源義経の平家追討前哨戦である「三草山の戦い」を庶民の立場から描き、「いくさ」とは何かを問い直した歴史中編。
最終更新:2007-08-27 23:54:47
16259文字
会話率:26%