松岡洋右は、近代日本史上における出色の外交家でした。同時に、戦後日本ではもっとも誤解されている人物でもあります。
アメリカで青春時代を過ごした松岡は、過酷な人種差別社会のなかを揉みに揉まれつつ生き抜き、アメリカ的な自由と民主主義を身につ
けて帰国します。松岡は職探しのあげく、外交官となります。松岡は日本人ばなれした抜群の英語力と演説力と才気を発揮して頭角を現します。つねに国益優先の外交を推進する松岡でしたが、これが災いします。当時の日本外交は幣原喜重郎を中心とする国際協調主義が主流を占めていたからです。国際協調主義とは土下座外交と同義です。これに強い不満を感じた松岡は、幣原と衝突すること数度にして、ついに外務省を退官してしまいます。
松岡洋右は南満州鉄道の重役を務めたり、衆議院議員となったりしてその能力を自在に発揮しますが、ある事件を契機にふたたび外交舞台に舞い戻ります。それは満洲事変の後に発生した第一次上海事変です。外務省のまどろこしい外交ぶりを見ていられなくなった松岡は、時の外相芳沢謙吉に直談判し、特使となり、上海、ジュネーブ、アメリカと世界を飛び回ります。しかし、松岡の奮闘にもかかわらず、日本は国際連盟から脱退してしまいます。満洲をめぐって日本とアメリカが対立を深めることになりました。外交家として松岡は事態を憂慮します。アメリカを第二の祖国とする松岡個人にとっても日米対立は悲劇でした。
日本の危機を感じとった松岡は、対米外交のあるべき方策を考究し、その成果を近衛文麿公爵に進言します。第二次近衛内閣の外相に就任した松岡は、日米和平を実現すべくいわゆる松岡外交を展開します。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2020-10-01 05:28:55
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