ヘルマン・ヘッセの「シッダールタ」に登場するゴーヴィンダは、シッダールタと別れた後も悟りを求めて旅を続ける。しかし、シッダールタのような悟りを開くことができず、自身の凡庸さに苦悩する。
彼はガンジス川のほとりを歩き、森の奥で瞑想し、修行僧た
ちと語り合うなど、様々な場所を旅し、瞑想や修行に励む。しかし、心の奥底に沈む重たい鉛のような苦しみから解放されることはない。
ある時、彼は自己憐憫の甘美さに溺れそうになるが、やがてそれに気づき、苦しみから目を背けずに受け入れることを決意する。
托鉢の鉢を割ってしまうなどの失敗や挫折を経験しながらも、ゴーヴィンダは心の探求を続け、やがて心の静けさを取り戻す。そして、悟りとは特別なものではなく、ありのままの自分を受け入れることだと悟る。
物語の最後で、ゴーヴィンダは若い修行者に悟りを説き、シッダールタのような穏やかな微笑みを浮かべる。それは、シッダールタとはまた違った、彼自身の内面から溢れ出る静寂に満ちた微笑みである。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2025-03-13 19:15:11
2231文字
会話率:12%
『聖なる甲虫』みんな大好き、うんこの歌。 『オルゴール』大好きな詩人、ヘルマン・ヘッセに敬意を表して歌った詩。
キーワード:
最終更新:2024-12-30 01:12:53
361文字
会話率:7%
高校を卒業して大学に進み、一番の関心事かつ最初にやらなければならないのは、クルマの運転免許取得だ。
若者のクルマ離れなんて想像もできない時代だった。オートマ限定免許はまだ存在しない。バイクブームさえ根強く続いていた。
最終更新:2023-10-01 23:00:00
3737文字
会話率:48%
「――春もたけなわですね」
と、あたしは地面に横たわったまま、かたつむりが這うくらいの、のんびりした気分で言った。
新学期が始まったばかりの、高校の屋上。あたし(千瀬凛)と先輩(志坂律子)は詩を作るため、放課後の屋上にいた。あたしたち
は、たった二人の文芸部なのだ。
そこであたしは、学校の壁に書かれた詩のことを話題にする。誰が、いつ書いたのかもわからないその詩は、文芸部の仕業だと目されているのだった。あくまで無関心な先輩を誘って、あたしたちはその犯人探しへとのりだす。
ちょっとした好奇心だったはずの、その探偵ごっこは、やがて一つの真実にたどりつくのだった。先輩についてのある秘密を巡る、一つの真実に――
これは、四つの物語。
詩人にも、何にもなれないあたしが、それでも何かになるための。
(21/3/24~21/6/17)折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2023-06-02 09:28:05
172997文字
会話率:39%
ーーヘルマン・ヘッセの短編『少年の日の思い出』に登場する少年エーミールは、14歳になっていた。
思春期のエーミールは優秀さを鼻にかけ、友達一人いなかったが、密かにある少女に想いを寄せていた。だが、その少女エミリーはサッカーが得意な貧乏な少
年を好いている。
広がる嫉妬から、ある日エーミールは一つの「罪」を犯す。
罪人となったエーミールを救ったのは、かつてエーミールが軽蔑した「クジャクヤママユの少年」だった。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2022-09-15 17:15:31
5752文字
会話率:12%
目が覚めたらそこは異世界だった。
魔法もある。
冒険者たちもいる。
でも、スキルやチートはなく、生きるためには辛いこともがまんしなくちゃならない。
物資や情報が溢れた元の世界とは比べ物にならないほど、不便だった。
この世界を見
て回りたいと言ったら、人の世の恐ろしさを言及された。
「俺を命の危険の瀬戸際にまで追いつめられるやつがいるというのか?」
笑って取り合わなかった。
それも人が作り上げたものだと思えば、興味があった。どんなものか知っておくのもいい。
人知を超えた素晴らしいこの世界で、二人の主人公の道が交差する。
大部分の人たちが行く道は楽だが、僕たちの道は苦しい。——でも、行こうじゃないか。
(ヘルマン・ヘッセ)
※摩訶不思議:人知を超えた素晴らしいもの
Unauthorized copying prohibited.
禁止私自转载折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2019-12-30 20:00:00
149997文字
会話率:32%
題名を「エッセイのプロムナード」と付けました。河畔を散歩するようにエッセイのプロムナードを歩いていただきたく、そう命名したのです。歩く河畔がさくらの時期であったなら、川面には散ったさくらの花々が流れているやも知れません。その行く(あるいは
逝く?)花々を人生を流れ行く無数の人々の姿と見るならば、その一枚一枚の花びらにはきっとそれぞれの氏・素性や、個性と生き方がある(あるいはあった)ことでしょう。この河畔があたかも彼岸ででもあるかのように、おおらかで、充たされた気持ちで行くならば、その無数の花々の「斯く生きた」というそれぞれの言挙げが、ひとつのオームとなって聞こえて来るような気さえします。この仏教の悟りの表出と云われる聖音の域まで至れるような、心の底からの花片の声を、その思考や生き様を綴って行きたいと思います。どうぞこのプロムナードを時に訪れ、歩いてみてください…。
※「オーム」:ヘルマン・ヘッセ著「シッダールタ」のラストにその何たるかがよく描かれています。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2019-10-22 23:45:19
47902文字
会話率:9%