絶対的な価値観を持つ羽牟(はむ)。「あまねく創造者は内におられる。それは人(人間とは違う概念、有機的な人という意味である。)と共におられ、やはり、人の味方であられる。」
つまり、創造者、反抗者、視聴者は羽牟と共にいる者の事。
すなわち、羽牟
と共に、創造者、反抗者、視聴者は付属しているものであり、彼女の二つ名は社会の反抗者、物事の視聴者である。
物事を視聴しなければ、社会への反抗は不可能である。
社会の反抗者でなければ、物事の純客観的な視聴は不可能である。
すなわち、必然的に社会の反抗者と物事の視聴者とは、両立するものであり、また、彼女に付くあまねく創造者もやはり、それらに賛同する者である。
という事は、神はどちらかに付く方なので、「聖書」を視れば分かる通り、善の側に付く者である。
すなわち、機械的な社会とは、悪であり、有機的な交流が善である。
歌夢は少女にて、あまねく創造者である。
羽牟と歌夢は、社会の動乱に巻き込まれ、人生をずたずたにされた者達である。
それゆえに、羽牟は社会の反抗者と成っている。また、時節を外さない様に、物事の視聴者でもある。
つまり、羽牟と歌夢は、同志であり、歌夢と共に、神がおられるという事は、羽牟と共に神がおられるという事である。
羽牟は、社会の解放を願って、色々な事を起こす。同志を募って、乗り出していく物語なのである。果たして、羽牟は社会の解放を成し遂げられるのか?
また、歌夢は神である事を羽牟に認めさせる事が出来るのか?
羽牟は詩人であり、現実主義者であり、そして、一神教徒である。
彼女の言葉には、重みがありながら、軽やかで、しかも、ある種の現実感がある。
彼女にこそ、神がいる事を彼女は自覚しており、たびたび、神に話し掛ける様なそぶりで、読者に語り掛ける事がある。「ねえ、あなた。あなたは、私達よりも真理に通じているんでしょう?なら、神と言ってもいいんじゃないかしら?もし、あなたが私の思想を広めてくれるなら、私は私の神を信じる。やっぱり神はいたって。自己完結的だけど、社会の反抗者としては、平和な結論じゃないかしら?平和が一番よ。それは私も分かってる。でも、力があるはずのあなたでも、限界があるでしょう。その時に、力を自覚して、集団に成れば、より強い神に成るんじゃないかしら?それこそ超越神よ。」折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2022-01-05 11:57:08
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ある種の現実逃避のようなものでしょうか
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※キャスフィ、ライトノベル作法研究所鍛錬投稿室短編の間に転載します。
最終更新:2013-10-26 10:20:52
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