『三国志』の時代より後、ふたたび三つの国に分かれた、という架空の設定に基づく中国が本作品の世界です。その架空の三つの王国とは、東の青燕(せいえん)と北部と北西部の延漢(えんかん)、そして南部と南西部の南魏(なんぎ)です。
その南魏では王の命
令で筆記試験と口頭試問そして武芸の実技がある文武官という官僚の試験を男女問わず受験できるようになりました。その際に魯雲(ろうん)という童顔の男子は優秀で勝気な朱麗玉(しゅれいぎょく)や武芸に秀でた賈良(かりょう)と同期で合格します。南魏は西の領土の一部を契丹に奪われ延漢は西の領土の一部を匈奴に奪われたので、これら二国および東の青燕は同盟をして各々の国の誰も「皇帝」と名乗らない様に盟約をします。東の青燕が盟約を破り一時的に魯雲たちのいる南魏を攻めたことがあるので青燕との国境付近には将兵及び第三軍師を派遣しましたが、南魏の主たる敵対者は西の契丹なので魯雲たちはそこに派遣されます。
魯雲は一時的に帰郷しますが、その際に彼の幼馴染である彭蒙(ほうもう)と会います。彭蒙は魯雲が好意を寄せていた范雪蘭(はんせつらん)という女性と付き合っていたのですがその後は別れており、もう一人の幼馴染である厳春華(げんしゅんか)が「いま雪蘭が好きなのは彭蒙ではなく魯雲である」と告げたので魯雲と雪蘭は付き合う事になります。
その後彭蒙は武官の試験に合格し、魯雲や麗玉や賈良とともに南魏の第一軍師であり契丹と戦う大部隊を統括する郭俊(かくしゅん)のもとで活躍します。
その後の魯雲およびその同胞の活躍は、どうぞ『南魏紀伝』本編でご確認くださいませ。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2023-01-16 14:37:32
124975文字
会話率:45%
大学時代に書いたレポートです。高句麗王・広開土王とは、古代朝鮮における高句麗、百済、新羅の三国時代において、中華(後燕)や百済、倭国(古墳時代)や北方の異民族(契丹など)の数多の敵を討ち平らげ、東アジア世界へ覇を唱えた朝鮮最高の英雄王です。
その業績を碑文として記した巨大な碑石「広開土王碑」のあれこれについて、ここで紹介させて頂きます。
作者が連載中の戦記小説『狂え虹色☆舞踏会』ではまさに今、広開土王(本名タムドク)や高句麗の価値観などもモデルとして「高句麗独立戦争」を描いています!折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2021-04-14 12:07:08
2539文字
会話率:0%
11世紀末、契丹の王女として生まれた耶律南仙。結婚して西夏の王妃となり、男子を設ける。しかし、契丹の危機に際して西夏王は契丹を見捨てた。南仙と息子は絶望の後に自死を選ぶ。
最終更新:2017-12-31 20:10:43
1612文字
会話率:15%
この小説は 僕が好きな中華圏の小説家金庸の武俠小説の『天竜八部』 段誉が主人公の異世界ファンタジーにした2次作品です。
出来るだけ、原作通りに(漫画化や映像化の様に)忠実に書かせていだだきます。
物語は、地球の平行世界の中国大陸を舞台に、
雲南大理国の武芸嫌いながら数々の絶技を身につけてしまう王子段誉、契丹人でありながら漢人として育てられた悲劇の英雄蕭(喬)峯、心ならずも戒律を破ってしまう少林寺の僧虚竹、古の大燕国の末裔で、一族の悲願である王朝復興を夢見る貴公子慕容復の4人の若者を中心に、親の世代が残した確執に運命を翻弄される若者たちの生き様を描いた群像劇である。
話の展開は錯綜しており、上記の4人を巡る物語は時に独立して語られ、それが不思議な縁で結び合わされている。また、登場人物は善悪の観念では書き分けられていない。多面的で、それぞれが宿業を背負い、見えない因果の糸によって操られている。焦点も多重的で、舞台も雲南から江南、中原、北漠、西域へと目まぐるしく移ってゆく。運命流転の大河小説である。
なお、題は仏法を守る神々である天龍八部衆(天、龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩喉羅迦)に由来しており、物語自体も仏教的な思想に基づいて構築されている一面を持つ。
また 下記の作品から 主人公など4人の武術の補完や 残り4人の副主人公を登場させます。
書剣恩仇録(1955年)・碧血剣(1956年)・雪山飛狐(1957年)・射鵰英雄伝(1957年)・神鵰俠侶(1959年)・飛狐外伝(1960年)・倚天屠龍記(1961年)・鴛鴦刀(1961年)・白馬嘯西風(1964年)・連城訣(1963年)・天龍八部(1963年)・俠客行(1965年)・笑傲江湖(1967年)・鹿鼎記(1969年)・越女剣(1970年) 折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2017-01-01 16:00:00
1044文字
会話率:0%
遼帝国の太祖耶律阿保機の末子(第4子)である耶律牙里果の7世の子孫に当たる。遼が滅亡する際に、契丹人を引き連れて西へ逃れてその地で勢力を広げ、モンゴル高原西部・新疆ウイグル自治区からカザフスタン東部・マー・ワラー・アンナフルまでの広大な地域
を領有すると、故地回復を望んで東征軍を出すが途中で挫折した。保大2年(1122年)、女真人の金から攻撃を受けた皇帝・天祚帝は、この攻撃を防ぐことができず、中京から西の雲中の陰山に逃亡した。この時、大石は宰相の李処温とともに燕京(現在の北京)において、第7代興宗の孫の耶律涅里(天祚帝の従父)を半ば無理やりに擁立して、天錫帝として北遼を建国した。後に、天祚帝は大石に天錫帝を擁立したことを責めたが、大石は傲然と天祚帝が逃げたから擁立したのだと反論し、天祚帝も反論が出来なかったという。ある説では、大石は隠れマニ教徒だったという。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2016-05-01 17:12:30
182133文字
会話率:43%
10世紀ユーラシア大陸に暮らしていた人々の歴史と人情話です。
漢字多めです。
2011年某ファンタジーコンテスト落選です。まだ機能を使い慣れていないので、ぼちぼち更新します。複数投稿予定。
最終更新:2016-03-07 22:27:01
33398文字
会話率:37%