仕事というものは、私にとってはこの世界で生きていく上での手段に過ぎないものだったし、そういう考えをおかしいと思ったことはなかった。しかし、実際に社会に出て企業で働くようになると、私と異なる考えを持つ人たちが思いの他多いということに気づいた
。その人たちは、仕事、労働というものが、生活の手段ではなく、生活そのもの、という認識でいるようだった。
そのうち、その人たちと仕事に関して交流すると、認識の齟齬では済まないレベルで労働・仕事というものに対する認識の違いを感じるようになった。私から見て、彼らは、仕事というものを崇拝しているように見え、それはまるで労働という名の宗教の信徒のように見えた。
ある時、この点を調べてみたところ、日本人の宗教観について、アニミズムから多神教といったアカデミックな宗教については多く情報があったものの、仕事と宗教を結び付けて語っているものは少なかった。唯一、宗教思想家のひろさちや氏が、「労働神事説」として、日本人の労働は、「労働そのものによって神に仕えるという思想」と述べている文章にたどり着いたが、書籍の一部を割いて述べているにとどまり、ここを掘り下げて一つの学説としてまで詳細に語ってはいないようであった。
これから述べることは、この「労働神事説」を私なりの解釈で掘り下げてみた、素人による考察である。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2024-08-18 10:00:00
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人里離れた一軒家、山奥の土地で畑を作る。それが今の自分の仕事。ウィルスのパンデミックで仕事を失った。仕事とはいったいなんだろう? 働くとはどういことだろう? 大麻畑を育てながら考える。「労働には労働懲罰説と労働神事説の二つがある」三間坂さん
はいろんなことを知っている。これがインテリヤクザというものたろうか。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2020-04-22 16:51:27
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