高校生の美月は早朝の枝垂桜が咲く上賀茂神社で、変わった絵かきに出会う。
彼に惹かれる美月だが、自分は恋をしないと呪文のようにとなえる。
美大を目指す美月は、新任美術教師に進学相談をすることに。しかし、その新任教師は神社であった絵かきだった。
女子高の新任美術教師になった真壁は、早朝の上賀茂神社で一人の少女に一目ぼれする。もう一度会いたいと願っていたら、彼の前に生徒として彼女はあらわれた。
京都の四季のうつろいとともに、ふたりの距離も生徒と教師の関係からうつろっていくが、美月にはどうしても越えなければならない過去のトラウマがあった。
折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2025-01-07 12:07:20
72804文字
会話率:37%
京都とは平安京である。桓武(かんむ)天皇が長岡京を、たった10年で遷都した都。天皇の弟、早良(さわら)親王の裏切りから処刑し、その怨霊の祟りから逃れるためだとも云われている。つまり、怨霊封じの都となった。鬼門の方角(北東)には比叡山。更に都
の入り口には上御霊神社、上賀茂神社、下鴨神社、幸神社(さいのかみのやしろ)など、多くの鬼門封じの社がある。都の四方には荒神、須佐之男命を祀る大将軍神社が配置され、裏鬼門(南西)には、大原野神社や城南宮がある。異常と云って善い。平安時代には安倍晴明などの陰陽師たちが悪霊封じを行っていた。果たして、此の大げさな封じ込めは、早良親王の怨霊封じのためだったのだろうか?陰陽師は本来、何と戦っていたのか?
幕末になって、その正体が明らかになる。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2017-11-12 10:08:03
52681文字
会話率:65%
平成21年2月上旬、内田と澄子は京都市内の自宅を売り払うため、京都の今枝不動産に行く。その車中
鳴島守の光秀非犯人説を読む。鳴島は川角太閤記の矛盾点をついている。
同年3月中旬、三重県四日市市の日下部修一を訪問。彼から昨年の11月に京都
歴史研究会に発表する予定だった織田信長の人物像を聴く。
日下部は3回ばかり間瀬耕一と会っている。間瀬は信長殺しは細川忠興、黒幕が徳川家康と断定している。彼は家康を解く鍵は3つ葉葵と世良田姓にあるとして賀茂神社に行っていることを、日下部に話している。
そして、歴史研究会の合評会に発表する原稿は合評会の約1ヵ月前に富島に送ることになっている。
間瀬の合評会への発表は昨年の10月下旬の土曜日だから遅くとも9月の下旬までには富岡潤一に送られているはず。会員の手に届くのは10月の初旬であるのに、会員の誰一人として間瀬の原稿のコピーを貰った者はいない。
平成21年中旬、澄子と兄の内田は京都の下鴨神社と上賀茂神社に行く。賀茂神社の双葉葵を見るためだが、そこで矢口春雄という上賀茂神社に勤める男に会う。
彼から3回ばかり間瀬耕一と会っていると聞く。矢口は、間瀬は信長殺しにとんでもない秘密を見つけたのではないか。その事によって殺されたのではないかと語る。
常滑に帰った後、澄子はインターネットで徳川家の先祖について調べる。
その結果、各地を放浪していた先祖の徳阿弥親氏が松平郷に入り、入り婿となった事実を知る。その子孫が勢力を伸ばして三河を支配下に治めていく。
しかしその事に澄子は疑問を持つ。
どこの馬の骨とも判らぬ乞食坊主が松平郷にやってきてその地方の豪族の松平氏の婿になれるだろうか。
澄子はこの事について矢口にメールを送る。
矢口からは岡崎の六所神社を知らべると良いとの返事が送られてくる。ここに徳川家発祥の秘密が隠されていると言うのだった。信長殺しの犯人も間瀬殺しの犯人もここに繋がったいるのだった。
折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2017-04-15 15:55:41
45242文字
会話率:5%
上賀茂神社を訪れた早紀江と敏夫の草野夫婦は、焼餅を楽しみながらも、楢の小川に手を浸して、連れ添った歳月をしみじみと思い出す。
※自サイト『京都にての物語』からの転載となります。
最終更新:2013-02-11 02:27:20
3178文字
会話率:32%