虚構における集合的無意識すなわち各作品の根底に存在する共通項それを〈語り部〉とするならまさしくナラティブの主体そのものであり隠れようとする原罪の権化ではないだろうか主人公はいま作者はいまこの〈語り部〉という存在に打ち勝ち意識の範疇つまり作
品という枠におさめる必要があるのではなかろうかここに生まれるテクストはその未完成段階の保存された足跡であるワイドスクリーンバロックが時空を駆け巡るのに対しこれはクロスオーバーならぬクロスアンダーいうなれば虚構に対する主観を駆け巡る甘い断続の叙述なのである。
※個人サイト「埃城」に重複掲載。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2013-01-06 14:05:41
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会話率:29%