十津川和子は、津軽の民謡や教室の家の末っ子として、
美しい高音は村では評判になった。童謡コンクールでも、
数々の賞を取った。しかし、ポップス、一番好きなのが
プレスリー、次がビートルズだった。そして、唄を作る、
作曲、作詞の才能もあり、自分
で曲を書き始めた。中学1年の
春に、父にギターを買ってもらい、弾き語りの練習を自分の
部屋で、夜遅くまでやっていて、何曲かの歌も書いた。
その後、東京の芸能人が多く通う高校に入り、芸能プロ
に送り音楽担当者に見てもらった。音楽担当の芝山に
才能を認められて、彼女の3曲を選び、売り出してみる
ことになり、有線放送に出してみると、その中の
「海鳴りの港」という演歌とフォークが融合したような
曲が若者中心に人気となった。その後、TBS歌謡番組
にゲスト出演し、話題性を評価されNHK紅白歌合戦に
初出場果たしたが、その時期、ピンクレディーが出て、
いっぺんにくわれて、1年半で、名前を忘れ去られ、
芸能プロも解雇され、その後、苦難の道へ・・・。
これ以降は、読んでのお楽しみです、
折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2019-08-19 21:59:37
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