佐倉 真一郎が長州派にいた頃、新選組は壬生浪士組という名で存在していた。
壬生浪士組という名の頃は、派閥は芹沢 鴨を頭目とする水戸派と近藤 勇を頭目とする試衛館派に割れており、更に文久3年5月の頃に我こそは尽忠報国の士と名乗る者が大量に加入
してきた。第一次隊士募集である。
勿論、それなりに篩(ふるい)にかけて入隊を許したが、多少いい加減なものも混じっていて、採用後も仮同志(ふるい)にかけた結果、近藤達が京で活動を開始して初めて現地で同志(なかま)に加えた隊士達は、好くいえば個性的、悪くいえば不純物が入っていた。其は正に玉石混淆(こう)―――・・・玉はいい加減なものを取り除いた事で更なる輝きを放ち、不純なものどもはその黒さが浮き彫りとなった。中には、両方の性質を具えたものも窺えるものの。
前者は5人しか在らず。否、5人も在れば充分であろう。
美男五人衆と。
後者は、長州からの間者である。
※登場人物は『新選組・真の参謀』を基礎としています。一部のキャラクターや設定は友人の作品を下敷としています(掲載・応募の許諾あり)。
※ 時代系列はおおむね史実通りですが、事件の経緯や解釈などは創作の要素が強いです。 折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2024-12-22 16:00:00
28010文字
会話率:46%
嘉永三年と安政三年の二度、肥後熊本の地は長州の士を受け入れた。一度目は吉田 松陰、二度目は少年期の久坂 玄瑞である。知らず松陰の足跡を追っていた久坂は、その地で自身と松陰を結びつける一人の男と一人の暗殺者に出会う。池田屋事件で死すことになる
「松陰の友」宮部 鼎蔵と「人斬り彦斎」こと河上 彦斎であった。「友情」と「殺人」の両極のはざまに揺れながらも、松陰の草莽の教えを受け、やがて久坂は自身が二面性をはらんだ過激な志士へと成長してゆく。幕末郷土の偉人特集第二弾、肥後勤皇党と長州志士の友情そして因縁を描く。
第一弾同様、一部のキャラクターや設定は友人の作品を下敷としています(掲載・応募の許諾あり)。
※ 時代系列はおおむね史実通りですが、事件の経緯や解釈などは創作の要素が強いです。
pixivとの重複投稿を予定しています。
主要キャラクターの紹介記事を作成しました。
目次の下にある画像から、『seesaawiki』さん内の該当ページへ飛ぶことができます。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2017-04-30 16:00:00
626704文字
会話率:43%