平家物語『扇の的』で活躍した那須与一。源頼朝の命令で京都に向かているときに頭を打って死んでしまう。
次に目が覚めたら見たこともない場所で──
「せっかくだからスローライフをしよう!」
与一がハマっている異世界転生をしてしまい、仕方なく(?
)過ごすが、ここでも弓の腕前で無双してしまうお話。
歴史×フィクションなので、歴史とぜんぜん違うところもあるかもしれませんが、普通の物語だと思って読んでください。
更新は暇なときに。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2024-12-10 14:25:24
9522文字
会話率:30%
那須の与一の扇の的を射る場面です。
(以下茄子のよいち漬本舗 合資会社 島村俊商店様HPより抜粋)
那須与一という人は、源氏と平家の「屋島の戦い」にて、平家が立てた扇の的を、見事射落としたことで有名な源氏方の武士です。
・与一とは余一、
あまるいち、つまりは今で言う十一男と言う意味の通称ですので、当時は他にも与一が居ました。本来は那須宗隆(宗高とも。むねたか)、那須氏当主になった後は、父と同じ那須資隆(すけたか)と言う名前です。
源平の戦い(源平合戦)には有名な戦いは多いですが、特に後期の、直接平家滅亡に繋がる戦いとして、「一ノ谷の戦い」、「屋島の戦い」、「壇ノ浦の戦い」があります。
那須与一は「屋島の戦い」の時に、「揺れる舟の上の扇の的を射よ」との平家の挑発に源氏の代表として、この難しい的を射ることに成功しました。矢が的を射たことで、源氏の武運が勝ると見られ、平家が没落していきます。さらに、「壇ノ浦の戦い」で平家が決定的な滅亡を迎えます。その「大事な転換点」になったのが、平家物語の「那須与一の扇の矢」です。
生没年から考えると、屋島の戦い(1185年)の際には15~6歳前後、亡くなったのは20歳前後と、実は早く活躍して早逝した方のようです。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2020-09-07 00:00:00
986文字
会話率:0%
平家物語の扇の的と同じ感じです。
最終更新:2013-11-15 01:46:50
2498文字
会話率:14%