中国の墓泥棒家族の物語は、ネットで見られる他のトレジャーハンター小説や、ホラー小説とは全く違う。
これは、私自身が墓泥棒をした経験を記録した本だ。私は高校卒業後、家族と共にウイグルの砂漠にある、楼蘭に行き、実際にお墓に入り、トレジャーハント
をしたのだ。その後、私は四川にある大学に進学して、四川で師匠に弟子入りし、一緒に盗掘作業をする仲間を集めた。
私は龍穴を見付けることや、陰陽五行と八卦、歴史推理、古美術鑑定などが得意である。
ところで、日本人なら誰もが一度は目にした事がある、中国のお宝文物、お茶碗、刀、古代絵画、金や玉の飾り物などについて、実はその中には、古代のお墓から盗まれた物が多数あるのをご存知だろうか?
それでは、本当の盗掘はどうやって行うのか、何があったか。この小説の原作は200万字あまりあるので、どうぞごゆっくりご覧いただきたい。
この本は、20回に及ぶ盗掘作業の実際の体験を詳しく記録したものである。見つけた宝物は、天然の金塊、古い刀剣、肉形石(肉の塊に見えるよう掘り出されたメノウ類の石)、ミイラ、太歳、五帝幣(清王朝の皇帝、順治帝、康熙帝、雍正帝、乾隆帝、嘉慶帝の時代の銅銭)、幾重にも連なった城と同じ値打ちがある玉の杖、高僧の金剛菩提子など。ある時、マニ教(明教)のお墓で、一つの夜明珠(いったん光にあたると闇のなかで何日間も神秘的な光を放ち続けることから、永遠の生命とパワーを祈願する王族の埋葬時にも使われた。)を手に入れた。
もちろん、墓泥棒は極めて危険な職業である。私は水銀の毒にあたったことがあるし、見えない所に矢が仕込まれた宝箱に出会った事もあった。そして一番命拾いした体験は、大きなお墓の中でのことである。そこには十数個の棺桶が安置してあり、主な棺桶の材質は極めて珍しい楠木だった。棺桶の中には、明かりを手に持つ男の子の彫刻があった。男の子の腕はお墓のからくり仕掛けを起動させるスイッチだったのだが、私はそんなこととは知らずに、ナイフで彫刻像の腕を切り取ってしまった!
では、作者はどうやってこの危険を回避する事が出来たのか?お墓の中にはどんな驚くべきお宝があったのか?そもそもお墓の持ち主は誰なのか?ぜひこの本をお読みになって、あまり知られていない古墳文化を味わっていただきたい。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2022-03-20 18:03:38
8438文字
会話率:45%
純日本人の蓮見照(はすみ てる)とローマ生まれのマリア・エスポジトは、奈良の大学に通う同期生。
2人とも、3度の飯より旅行が好きという旅バカな性格だが、国内旅行では最近マンネリになってきた事もあって、遂に海外旅行に踏み出す事になったのだ。
今回の旅は中国・シルクロード。上海から入国し、鉄道で5000キロを旅して新疆ウイグル自治区のウルムチを目指す、壮大な旅の始まりである!!!
・・・というのは、実のところ建前に過ぎない。2人の旅には、誰にも言えない秘密があった。わざわざシルクロードを辿って中国奥地を目指す真の目的は、”あるもの”を探す事にこそあったのだ。
時を同じくして、世界各地で過激な新興宗教「新生マニ教」が猛威を振るう中。その聖地とも言える場所を目指して、2人の数奇な旅が始まる。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2019-11-27 00:00:00
37726文字
会話率:53%
遼帝国の太祖耶律阿保機の末子(第4子)である耶律牙里果の7世の子孫に当たる。遼が滅亡する際に、契丹人を引き連れて西へ逃れてその地で勢力を広げ、モンゴル高原西部・新疆ウイグル自治区からカザフスタン東部・マー・ワラー・アンナフルまでの広大な地域
を領有すると、故地回復を望んで東征軍を出すが途中で挫折した。保大2年(1122年)、女真人の金から攻撃を受けた皇帝・天祚帝は、この攻撃を防ぐことができず、中京から西の雲中の陰山に逃亡した。この時、大石は宰相の李処温とともに燕京(現在の北京)において、第7代興宗の孫の耶律涅里(天祚帝の従父)を半ば無理やりに擁立して、天錫帝として北遼を建国した。後に、天祚帝は大石に天錫帝を擁立したことを責めたが、大石は傲然と天祚帝が逃げたから擁立したのだと反論し、天祚帝も反論が出来なかったという。ある説では、大石は隠れマニ教徒だったという。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2016-05-01 17:12:30
182133文字
会話率:43%