第二次世界大戦中の独ソ戦で活躍した17歳~24歳のソ連軍女子兵士達の活躍ぶりを再現した実録物語です。女子狙撃兵に女子機関銃手、女子偵察隊員、女子高射砲連隊、女子飛行連隊と様々な分野で活躍した女子達の実話集を全10回シリーズでご紹介致します。
これからご紹介する少女兵達の活躍ぶりは、大戦中ソ連当局によってプロパガンダとして大いに利用され国民の士気高揚に大きく貢献しました。彼女達の記録を細かく調べていくと、当局による厳しい情報管理だけでなく、戦後ドイツ側が保存していた戦場アーカイブス集と照らし合わせて裏どりされている事案もありました。
今回はロシアのサイトや赤軍アーカイブス、ご本人の回想録など出来る限り具体的な情報を集めました。その情報を元に具体的な戦闘描写などを再現致しました。
これからご紹介するそれぞれのエピソードに関しましては、社会主義国家による宣伝用の神話と感じる方がいらっしゃるかもしれません。それはお読みになった方それぞれでご判断して頂ければと思います。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2024-03-24 00:00:00
137578文字
会話率:18%
異世界に召喚された高校生達、学校の1学年ごと召喚された高校生たちが
その召喚主の王国の支配された土地で偶然見つけた
アフガン時代のソビエト軍や米軍の武器を見つけ、その武器と装備を使って生き延び、
他の生徒を救出して元いた地球に帰還する
戦い。
この作品はフィクションです。実在の人物・団体・組織・国家とは関係ありません。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2022-11-28 07:00:00
241820文字
会話率:21%
帝国陸軍最後の参謀総長は梅津美治郎大将でした。
その名はあまり知られていませんが、陸軍史上でも屈指の能吏でした。その梅津の能力を、陸軍は様々な不祥事の後始末に発揮させました。満洲事変、クーデター未遂事件、二二六事件、ノモンハン事件、そして
終戦と、美治郎は陸軍の後始末に追われます。
大東亜戦争中、梅津美治郎大将は関東軍司令官として満洲国の首都新京にありました。戦うことはありませんでしたが、極東ソビエト軍に対する戦備を整え、ソ満国境の治安維持と哨戒監視を実行し続け、北辺の静謐を守り通しました。目立った戦功はありませんでしたが、満洲の防備をかためることにより日本帝国の根本的戦略環境を維持し続けたのです。
しかしながら、太平洋方面の戦況が悪化し、兵力が不足すると、関東軍の主要兵団が次々と引き抜かれ、太平洋の島々へと出陣していきました。その分だけ関東軍の戦力は弱体化していきましたが、梅津軍司令官は可能な限りの弾薬食糧を出征軍に与えました。
太平洋の要衝サイパン島が陥落すると、梅津美治郎大将は参謀総長に任命されます。開戦当初より、この戦争には勝機がないと秘かに考えていた梅津大将は、運命を甘受して、終戦を達成し、帝国陸軍そのものの後始末を実行します。
折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2021-03-13 07:21:40
76789文字
会話率:32%
昭和二十年八月、日本政府はポツダム宣言を受諾した。停戦である。そのとき蒙彊(もうきょう:内モンゴル)にはおよそ4万人の日本人居留民がいた。その蒙彊に兵力5万のソビエト軍が迫った。これに対抗すべき駐蒙軍の兵力はわずか2千にすぎない。主力の独立
混成第二旅団はソ蒙国境の丸一陣地に立て籠もって抵抗を試みるが、兵力差は圧倒的である。駐蒙軍司令官根本博中将は、居留邦人4万人を救うため政戦両略に知謀を尽くす。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2020-06-26 07:14:07
51994文字
会話率:36%
昭和二十年九月四日。史実ではとうに戦争終結したこの日。太平洋戦争はまだ終わる気配を見せない架空国家日本で、東京に原子爆弾が投下される。松代大本営は直ちに救援隊を編成し、東京へ放った。彼らが東京で見たものは悪魔の爆弾によって破壊つくされ、焦土
となった東京であった。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2017-10-24 02:21:33
5063文字
会話率:13%
■東京地下道1949■
1949年日本トウキョウ。
太平洋戦争の日本敗戦により、アメリカ軍とソビエト軍が、分割占領されていた頃の話。
●戦争孤児である少年・少女たちの苦労し生き残ろうとする話です。
このような感じで始まります。
「自の
力で食物や闇物資を手に入れたのだ。
この時代とこの占領下トウキョウという場所で生きのびていくための手段であった。
戦争孤児のボスである竜のアジトである掘っ立て小屋からも焼け果てたトウキョウ市の「新しい壁」が見えている。
その壁は日本人に希望を与えるものではなく、日本人の心と体を。いわゆる「本土決戦」
以上に疲弊させるものだった。
竜は、本土決戦当時は、新潟県に集団疎開していた。そこで愛国少年団に属していた。
赤い星をつけたソ漣軍のT34戦車が進撃してきたのは昭和二十年十月三日。
それからの彼らの話。
●山田企画事務所・飛鳥京香 サイト などより転載。http://plaza.rakuten.co.jp/yamadas0115/
飛鳥京香/SF小説工房(山田企画事務所)■山田の「妄想の地獄めぐり」へようこそ!
関西学院大学文学部ーSF研究会ー大阪文学学校ー大阪シナリオ学校ー同人誌活動
を通じての、30年にわたる、日々の妄想世界のすべてをお見せします。
http://plaza.rakuten.co.jp/yamadas0115/diary/201609230000/
基本データベースはここ。
■飛鳥京香・SF小説工房■株式会社山田企画事務所■
小説ごと章立てことにに入ってます。まだ未発表もありますが、、、
基本的にまだ整理できていません。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2016-09-12 17:33:57
24750文字
会話率:26%