1918年11月11日パリ時間11時(日本時間19時)、停戦協定が発効しました。人類史上初の世界大戦を振り返りながら、これからの世界を考えます。
物語となるようにアレンジしているため、話の大筋は変わりませんが、創作が多分に含まれていま
す。
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開戦前の欧州は希望に満ち溢れていた。街には煌びやかな服を纏った婦人がいて、最新の技術が新たなる便利なものを生み出していた。欧州では四十年以上にわたって大国間の直接的な戦争は起きなかった。誰もが平和に満たされた中で起きようとしていたほぼすべての大国が参加する戦争。人々はすぐに終わると思い込んでいた。それを象徴するように、これの前の大きな戦争はほぼどれも二か月以内に終結している。ところがその結果は四年間で数千万という未曽有の犠牲者であった。それに加え、この戦争は「すべての戦争を終わらせるための戦争」と呼ばれていた。しかしながら、この悲劇が招いたのは多くの更なる悲劇であった。人類は破滅への道を歩み始めた。今の世界もそこから抜け出してはいない。百年も前の呪縛を、現代に生きる我々は知らねばならない。
折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2020-07-07 03:34:28
15835文字
会話率:19%
1913年末、土方勇志大佐は海軍兵学校教頭として来賓の林忠崇元帥海軍大将を呉駅の駅頭で出迎えていた。林元帥は海軍兵学校第41期生に対して卒業式の来賓として挨拶を述べることになっていたのだ。海軍兵学校第41期生は、草鹿龍之介や大田実、田中頼
三、木村昌福らがいた。土方大佐にとっては、将来、海軍大将を輩出する自慢の教え子たちになるはずだった。
だが、翌年の6月、サラエボで響いた銃声が全てを打ち壊した。サラエボ事件をきっかけに第一次世界大戦が勃発した。欧州の正月を楽しんで帰国しよう、と欧州に赴いた海兵隊を筆頭とする日本陸海空軍は、主に西部戦線において4年以上の地獄を味わうことになったのだ。そして、海軍兵学校第41期生は、卒業式から5年後に生き延びていた者は幾人ぞという凄惨な死闘の中に飛び込むことになった。陸に海に空に土方大佐の教え子の海軍兵学校第41期生は第一次世界大戦において戦うことになる。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2015-10-12 06:20:50
174643文字
会話率:22%
二十二年式村田連発銃、製造番号六一三六二の数奇な運命
最終更新:2015-05-14 22:53:50
4830文字
会話率:8%