相国寺を焼いた余燼が立ち上げる煙に霞む月を眺め、足利義政はそれをとても美しいと思った――
※自サイト『京都にての物語』からの転載となります。
最終更新:2013-03-03 20:29:29
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会話率:14%
応仁の乱よりのち、室町幕府の権威は地に落ちた。
明応二年、管領であった細川政元は将軍の廃立を行うべく明応の政変を実行。これにより実権は細川氏に移った。しかし政元の死後、細川氏は分裂し、中央の求心力は無きに等しくなった。これを機に各地の豪族、
国人が力を蓄え、泥沼化した戦国時代が本格的に幕を開けたのであった。
大永元年、近江の六角氏本拠、観音寺城内の館で一人の男児が誕生した。彼は乱世ゆえに生れて直ぐに決められたのである。「近江の将」となることを…折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2012-12-29 13:50:31
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会話率:36%