里見兵衛は、横浜開港で絹取引で、小金をため、その後の船景気で大金をつかみ、大恐慌前に横浜港から出国。マルセイユに渡り、以前仕事をしたM物産のつてで欧州での仕事をもらった。その後、里見家の子孫がスイスにわたり子孫を増やした。その後、子孫たちの
一部が日本に戻り、活躍する物語。激動の時代背景と里見家の活躍を描いた。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2020-10-21 23:00:00
63257文字
会話率:1%
池添家は東京市議会の議員をしていた名門で裕福で大きなお屋敷を持って
いたが、戦後、落ちぶれて、その一族の池添幸夫は橫浜の郊外の荒れ地を
あてがわれ、その地に居を構え、M物産に勤めて、その会社の美人秘書
、範子と1961年に結婚した。その後1
962年3月3日に長女、絹恵
を難産の末、出産したが、その後、子供を産めない身体になった。
そのため、絹恵の教育には力を入れて、地元の小学校を卒業した後、
フェリス女学院中学に進んで、英語、数学が得意な、元気な娘に育った。
高校を出た後、上智大学英文科を卒業して、M物産・橫浜営業所で輸出入
に関連する仕事についた。そして年頃になった頃、橫浜駅で不思議な体験を
して、M物産で将来、一番出世する男性を見つけて、結婚し世界各国を
転勤し出世したが激務で身体を壊し半年の療養生活でも完治せず、早期
退職することとなってしまった。
その後、奥さんの絹恵がM物産を退職して義理の姉、美紀さんと株投資
と投資教室を開いて次々と成功していくが、その後、東日本大震災、
子供の貧困問題をみて、こども食堂にも参加し、投資で得た利益を
義捐金として拠出することにした。そうして、その活動が認められ
・・・、と言うストーリーです。なおこの作品はアルファポリスに
重複掲載しています。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2019-04-24 16:10:35
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会話率:0%
前作「ぼくの引っ越し」につづく第二弾。
さまざまな こんなんをのりこえて
ぼくが、異国の小学校で がんばります。
最終更新:2013-02-11 20:00:00
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会話率:22%