# 「1万年の平和と600年の変化 -縄文と弥生の対話から見えるもの-」あらすじ
筆者は中学生の頃、教科書で見た縄文土器と弥生土器の印象的な違いから、文明の進歩に疑問を抱く。装飾豊かな縄文土器に温かみを、シンプルな弥生土器に冷たさを感じた
その違いは、「時間」と「余暇」の差ではないかと考察を始める。
縄文時代は1万年続いた長期的に安定した文化だった。単なる狩猟採集民ではなく、定住生活、環状集落の形成、広範囲にわたる交易ネットワークなど、複雑な社会構造を持っていた。和田峠や神津島の黒曜石、新潟のヒスイ、秋田の琥珀などが遠方で見つかる事実は、地域間の信頼関係と平和的な交流を示唆している。
一方、稲作中心の弥生時代は、年間を通じた継続的労働を要求し、水資源の管理や収穫物の分配による格差を生み出した。鉄器・青銅器の導入と階級社会の出現は、新たな社会構造への移行を意味したが、この時代はわずか600年しか続かなかった。
この歴史的対比は現代社会にも通じる。近年の「米騒動」は、私たちが「所有」と「分配」の構造に組み込まれた社会に生きていることを示している。自らの生存に必要なものを自分の手で得られなくなった現代人の姿が浮かび上がる。
筆者は「文明の進化とは何か」と問い、便利さや富ではなく「文化の持続性」こそが重要な指標ではないかと提案する。縄文文化の中に、持続可能な社会と人間同士の直接的なつながりを重視した生き方のヒントを見出し、未来に向けた文明の再考を促している。折りたたむ>>続きをよむキーワード:
最終更新:2025-03-10 23:54:42
2441文字
会話率:6%
自然の理の中に身を置く狩猟採集民。その暮らしに我慢できず、環境を変えることを選んだ農耕牧畜民。2つに分かれた生活をつなぐ商人は、おそらく、人がこの地上を支配する舵取りになった。神に挑戦する商人は、旅路でなにを思い、語るのか。
最終更新:2021-02-13 14:47:52
31637文字
会話率:0%
赤ん坊のときは尻尾があって死ぬと木になる不思議な種族〈森の民〉の、楽しい暮らし。素朴で清らかな愛と喜びに満ちた、短い生の物語。
※自サイトカノープス通信(http://www.geocities.jp/canopustusin/)からの転載
です。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2017-01-27 13:04:57
48922文字
会話率:8%