遠く摂津の本願寺から流れ着いた生玉角兵衛。
大浦(津軽)家に居所を無くし、名前を変えた久慈信勝(為清)。
そして妙誓とかいう尼小僧……。
津軽為信の存ぜぬところで蠢く思惑。
それらは複雑に絡み合い、為信を再び決起せしめる。
ただし最後にお
こる悲劇を、誰も知らない。
奥州戦国絵巻物、十章十話編成。
挿絵協力として鰺ヶ沢町教育委員会 教育課 中田様より
資料 ”津軽古城址” の画像使用許可が出ております。
<2018/10/22 更新>
<2019/06/08 更新>
青森津軽はマンジの國 『 MANJI nation 』
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どうぞご検索あれ!
〇津軽通史シリーズ
一作目:津軽藩以前
二作目:津軽藩起始 浪岡編
三作目:津軽藩起始 六羽川編
四作目:津軽藩起始 油川編折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2019-09-29 16:21:23
86103文字
会話率:28%
隠されちゃあ真相とは何だば?!
津軽為信決起するまでば描く。
奥州戦国絵巻物。
南部津軽双方の資料ばミックスすた実験作、十章十話だ。
挿絵協力とすて鰺ヶ沢町教育委員会 教育課 中田様がら
資料”津軽古城址”の画像使用許可出ております。
<
2018/10/22 更新>
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***方言de小説***
これは現代語を津軽弁に翻訳して楽しむ作品です。
変えるべき表現がございましたら、どんどん指摘してください!
作者は様々なご意見を受け入れて、よりより津軽弁作品を作って参ります。
原作:津軽藩以前 https://ncode.syosetu.com/n3923dj/
************折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2019-04-18 10:28:38
74157文字
会話率:20%
南部だけならいざ知らぬ、あろうことか安東は敵に回った。
臣従したはずの北畠勢も怪しい動き、宿敵の滝本が襲いかかる。
津軽為信、最大の危機! 奥州戦国絵巻物、十章十話編成。
挿絵協力として鰺ヶ沢町教育委員会 教育課 中田様より
資料”津
軽古城址”の画像使用許可が出ております。
挿絵六枚中自己作成分を除き三点を後半に添付いたします。
青森津軽はマンジの國 『 MANJI nation 』
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〇津軽通史シリーズ
一作目:津軽藩以前
二作目:津軽藩起始 浪岡編
三作目:津軽藩起始 六羽川編(今作)
***人物紹介は、津軽藩以前のページを参照のこと***折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2018-09-27 00:02:50
81068文字
会話率:25%
天正と号された二十年は、とある人物のためにあった時代と云えよう。天下人、織田信長である。
それまで信長は室町幕府将軍足利義昭を擁していた。が、元亀四年(1573年)義昭が抵抗の意を示したことを切っ掛けに京を追放。その年に元号を元亀から天
正と朝廷に奏上し改元した。信長の天下の幕開けともとれる出来事であった。
そして最果ての地、津軽に於いても、一人の姦雄が台頭した時代でもあった。
下克上をなした信長に続けとばかりに、後の津軽藩初代藩主、大浦為信が蜂起したが同じ頃。
それまで津軽は南部家の治めるところにあったが、堀越を皮切りに、石川、和徳と次々と城を落とすと、天正四年(1576年)には滝本播磨守重行が護る大光寺を、その二年後の天正六年(1578年)には、地域一帯を治めていた公卿の末裔北畠の浪岡御所を攻略。破竹の勢いをみせていた。
要害汗石城の千徳大和守政氏を懐柔し、津軽西南をほぼ手中に収めたが、この地に於いてただ一人、大浦の世を良しとしない者がいた。
鄙館城代、千徳掃部助政武である。
しかし衆寡敵せず。鄙館千徳の命運は風前の灯と云えた。
※ タイトルは「さいかちのはな はくげつにさく」と読んでください〜。
転生もタイムスリップもしませんが、何卒よろしくお願いします〜。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2016-09-23 15:57:07
10365文字
会話率:45%