土志田勇は相模原市郊外の川尻の生まれで広い土地を持ちキノコやタケノコ
、山菜を採り、大きな畑をもち、近くの人にも畑を貸して、食糧難の時代にも
食べるものに困らず、また近くの川であゆ、やまめなどをとり、比較的
裕福に育った。米山種子は八王子郊
外で、両親は大手化粧品会社の社員で
共働きの家庭で、一人っ子として1953年3月11日に生まれた。
米山種子は近くの信用金庫に就職したが、計算が合わない日は、遅くまで
何度も検算して帰が遅くなる母母の大手化粧品会社でセールスレディを
始めた。母の仕事ぶりを見ていて、愛想が良くて、可愛い顔でも注文を
しっかり取れ、セールス実績を上げていった。
一方の土志田は、卒業後、日本電信電話公社に採用され、八王子の種子
の家から近い電電公社の事務所に通い始めた。仕事が早く終わったときは、
種子の家に寄って、夕食をご馳走になったりして、種子の両親も土志田の
性格を知り、仲良くなった。土志田恒夫は、既に、日本株をして、小金を
貯めていた。それを見て、土志田勇が父の恒夫に日本株で儲けたいと言うと
、着実に儲けるには、日本の代表的な株の売買が良いだろうと言い、
ソニー、トヨタ株を奨めた。勇は、その通り、ソニーとトヨタの株価を注視
し、安いと思うと買い始めた。土志田勇と種子は結婚して、2子を授かった。
その後、腎臓の弱かった、種子の父、米山建男が人工透析を始めた。その後、
土志田恒夫の優しさで、2家族仲良くなり、米山建男の死後も、面倒を見た。
その後、旅行したりして、人生を楽しんだ。この後は・・・、是非ご覧下さい。
なお、この作品はアルファポリスに、重複投稿しています。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2019-07-14 10:33:18
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会話率:1%