およそ青春と呼べる全ての物を犠牲にし、そこそこの会社に就職した一成。他の同窓生よりもエリートコースに乗ったはずだったのに、現実は五月病を引き起こすほどに思惑とは掛け離れた日常だった。
先輩に無理やり飲まされ、虚しく終電を見送った一成の前に一
台の電車が滑り込む。
電車が着いた先は…太平洋戦争で焼失したはずの京浜急行平沼駅だった。
横浜大空襲前夜…一成は一人でも多くの命を救おうと奔走する。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2020-08-20 11:14:10
9846文字
会話率:22%
青年画家は、この絵を描くことでトラウマから逃れられた、と感じた。
彼は、その後、”破船”をモチーフに、滅びゆく物への挽歌・哀愁を長く描くこととなる。戦争絵画も、原爆と破船のフォルムとして表現している。80才を過ぎた今も、精力的に描き続け、作
品は、ゆうに1,000点を超えた。しかし、反戦絵画として人の死を描いたのは、後にも先にもこの一枚だけである。
この一枚の絵は、未だどこにも発表しないまま、今も、アトリエの奥に眠っている。
画家本間龍松の絵画の原体験、横浜大空襲を描いた作品。
折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2010-09-12 09:57:06
5024文字
会話率:14%