池墨伸介は、父が謹厳実直な銀行員だが、どうしてもその生き方になじめなくて、投資で大きな富を得たいという気持ちが年を貸せねるほど強くなってきた。これには何かあるなと、密かに思い始めた。そんな時に、橫浜港開港の頃、曾祖父が橫浜で生糸商売で大金持
ちだった。しかし事件に巻き込まれ死んだと言う噂を耳にした。そこで親戚で一番の長老を捜して東京の老人ホームへ行き、衝撃的な事実を聞いた。そして橫浜市大商学部で投資の勉強をし、元証券マンの鮫島教授の研究室に入り多くのことを学んだ。そして兜町の近くの老舗、海苔店に就職して海苔を売りながら相場をチェックする生活を始めた・・・。その後は、読んでのお楽しみ。
折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2019-12-11 19:31:22
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会話率:1%
橫浜港が開港した1859年頃、八王子・鑓水地区の商人が多くの
地域から生糸を買い集めて、それを東京や開港まもない橫浜港へ
運んで商売をした。近くの貧乏百姓のせがれ・安田亀吉10歳が
鑓水の大島屋に丁稚奉公に入り、生糸の商いを学び、やがて先輩
と
橫浜まで木とを売りに行った。大島屋でも給金を使わず、お金を
ためていた。やがて、橫浜の原善三郎の亀屋に出入りして、原に
可愛いがられ、亀屋で雇われ、貯めた金を全額、亀屋に投資して、
亀屋でもいっぱしの商売人になり、番頭にまで昇格した。
原善三郎に英語や学問、投資方法を学び、大金を稼ぎ、原善三郎が
隠居すると、大金を持って独立した。その後、小さな商社を営み、
第一次大戦の船景気に乗じて大儲けして大金を手にした。日露戦争
が終わり、軍国主義化する日本に嫌気がさして、一家で欧州へ船で
渡ることを決意し、1ケ月の長旅でマルセイユへ、そこで古くから
商売する日本人と合弁会社を作り、儲け、子供達が次々と結婚して、
子供を作り、やがて、第2時世界大戦へ、当時中立国のスイスに住んで
、戦争を終わるのを待ち、終わる頃には高齢で、後を、子供に託して
隠居、その子供達が三井物産と一緒になって欧州に支店を作り、商いを
大きくして、月日がたち孫の世代になり、世界に多くの支店をもつ商社
になり、安田商店、安田商事と発展していった。その後、米国株や、
日本の特産品の織物、陶磁器などを海外で売り、欧州、米国の特産品を
ワイン、酒、チーズなどを日本に輸出して事業を拡大していく、3世代
に渡る歴史物語です。是非、ご覧下さい。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2019-01-27 23:10:58
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会話率:28%