中島梅葊(庵)は1801-1869年の生涯の中。1829年(文政12年)より没年(明治2年)まで黒瀬町にて広く学問を教えた。私塾『養成館』は1842年には開かれていた。そこでは若者を維新に送り込むような教育ではない。しかし全国でも珍しいだろ
う、没後塾生たち(農民、男女問わず)がわずかな金を出し合い、数年後に立派な漢文で刻まれた碑を建立している。そして今もなお残るその碑は、美しい里を眺めている。
中津藩士の父をもつ新蔵は幼少に出家させられた。中島貞二、号して「梅葊(庵)」その生涯を追う。
鉄筆-梅翁伝(国替え)-今回のお話
中津の小笠原藩は播州に国替えが決まり、大規模な藩士のリストラが必要になった。その大役は無役の石坂左衛門に任される。そろばんを弾いても半数以上の藩士をわずか一万石では食わせることはできない。知恵を絞り乗り越えようとする石坂左衛門とその家族達を描いた時代小説。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2019-01-20 21:19:12
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