主人公の木下信夫は1958年、千葉の五井で生まれ、親に300万円を
借りて日本株投資をはじめた。千葉大卒業後、三菱銀行、千葉支店に入行し、
結婚した和美さんは経理、信夫は営業・外勤に配属され懸命に働いた。
銀行の給料は良かったが販売ノルマが
課せられたが業績表彰も
受けた。しかしノルマが重くのしかかりストレスは半端なものではなかった。
長男、栄一、長女、華子が誕生し年収も増えたが、ストレスで体調を崩した。
株で儲けた事もあり、奥さんと2人で41歳の若さで銀行を退職し
自宅療養に励み徐々に体調が回復した。子供達も大学卒業後、子供達も
金融の世界に入った。 その後も着実に資産を増やし2008年9月の
リーマンショクも乗り切った。2010年には信夫の腎臓病がわかり
母の好意で腎臓提供を受けた。
その後、中学時代の柔道のライバル佐藤健介に偶然に会い信夫が父の
友人の地元の木谷建設に就職口を斡旋してあげた。木谷建設がグループの
大企業がマンスリーマンションをで4件建てたが業績が落ちてきて
4年目には持ち主のSKSハウスが手放すと言うので、信夫が従業員ごと
買い取る交渉をして改修工事費用をしてケアハウスにして東京の高齢者
を送り込んだ。
今までの蓄えを社会奉仕に活用しても惜しくないと思い、信夫は
夫婦で、その事業を継続し、その後、社長の座を佐藤健介にゆずり、
和美さんと信夫は、自然体の生活、好きな時に釣りをし、本を読み、
晴耕雨読の隠居生活をはじめて、夫婦仲良く長生きしていった。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2019-03-10 20:45:09
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石津健之助は、1950年に北関東で生まれた。実家が豪農であったため、食べることに苦労することなく、金銭的にも不自由なく育ち、地元の名門高校から、慶応大学商学部を出て、製薬企業のプロパー・学術宣伝営業になった。東京で営業センスを磨き、東北、新
潟、長野と転勤したが、生まれつきのハンサムで、愛想の良く、口が旨く、女性にも、お医者さんにも人気があり、業績を伸ばした。また、営業表彰・報奨金をいただき、貯金をして金を貯めた。加えて、出張先の飲み屋の娘や、看護婦さんにもてて、出張に行っても、ホテルに泊まらず、彼女たちの部屋に泊まる日が多くなり、出張費、外勤手当がそのまま残り、金は貯まる一方で、笑いが止まらなかった。しかし、業績が良くなると、更に頑張って、無理を続け、若くして、重症の自律神経失調症・メニエールになって、営業ができなくなり、早期退職となってしまった。しかし、結婚した看護婦さんに助けられて、有名な温泉・熱海のマンションに住んで、療養に励み、1年ほどで、回復し、近くの人達と交流を深めた。その後、親しくなった友人達の死を乗り越えて、旅行に出かけて、新しい世界を歩む。その後、海外旅行にも出かけ、ポルトガルに古き良き日本の幻影を見て、通うようになり、見聞を広めて、いろんな冒険をして、楽しんでいく物語です。アルファポリスにも重複投稿します。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2019-01-03 17:08:14
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