本書は、10数年前に痴呆症(当時はそう呼ばれていた。現在は認知症)になってしまった母と私(筆者)との介護会話日記である。この日記は19年前に起こった「阪神淡路大震災」から始まった。
認知症がどのような「病」なのかを、コミカルな大阪弁で「母と
の会話」を通して著した。
母と私(筆者)は二人暮らし。
「認知症」は「切ない」病である。このため「認知症」の介護は、仕事との両立が困難で、生活苦に陥りやすく、苦悩の連続で、多くの介護者は「悩み、苦し」、挙句、心中や殺人に迄到るケースが後を絶たない。いまでも、この状況はあまり変わっていない。むしろ、高齢化社会が進んできた事や長引く不況で、増え続けているのが現状である。
昨今では、有名人や芸能人等が「介護を巡って、苦悩を告白」マスコミもこれを大きく取り上げ、「介護地獄」を喧伝している。
果たして、そうか。私は、認知症の母を介護しながら「介護」は「地獄」とする風潮に「疑義」を抱き続けてきた。
母が笑ってくれれば、笑顔を見せてくれれば、それで良い。そのためには「逆らわず、怒らず、大声を出さず」に「介護は会話から」を基本に実践した。
この日記は「認知症の介護」の答えを出した分けではない。が、このような「介護」もある、と言うことを知って頂ければ、多くの介護関係者の参考になろうかと、思い、取りまとめたものである。
その母も3年前に天国へ逝ってしまった。
私は、いま「看取り後」として、「男性介護ネット(事務局:立命館大学)」を、応援するため、このブログを続けている。介護していた愛する人を亡くし、独りぼっちになった方々を「ロストシングル」と言うそうだ。この方々は、一心に介護をしてきただけに、その反動も大きく「抜け殻」のようになってしまう方もいる。「介護」が生き甲斐となっていたからである。その生き甲斐が無くなったら。
私もご同様だ。看取り後、自分がどう生きていくかを、ブログに書いていくことにした。
折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2010-08-23 16:13:12
159955文字
会話率:46%
書店の店長である主人公の倉木は、女性アルバイトを雇うことになった。この日を境に、倉木は裏の世界に少しずつ引きずり込まれていく。その中で苦悩を抱きながらも、人を救い、変えてあげたいという気持ちを貫こうとしていた。そのためには自分を変えないとい
けなかった。すべてが上手くいくように。すべてが変わるように。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2010-07-11 14:52:04
2690文字
会話率:36%
僕のペンネームはアーリマンといいます。僕はこれまで一等賞を取ったことがありません。何をしても失敗ばかりで全然ダメでした。どこにいっても落ちこぼれで、100人中いつも85番目ぐらいでした。でも1番になりたいと思いました。1番の小説家になりたい
です。そのためには小説を833冊よりたくさん書かないといけません。原稿用紙350枚が小説1冊とみなしました。834冊書いたら、僕は日本で1番の小説家になれます。頑張ります。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2009-07-31 19:35:25
145651文字
会話率:8%
一人の男が幸せを求める。そのためにはたった一つしなければならない事があった。男はその一つの事を実行出来るのか??そして、どんな答え(幸せ)を見い出すのか??
最終更新:2007-07-02 15:39:03
791文字
会話率:0%