新々刀期の三大刀工の一人、大慶直胤(たいけいなおたね)。彼にはいわゆる『松代藩の荒試し』という不名誉な伝承が残されている。それを基に書かれた小説が拍車をかけて、ネットの普及で爆発的に拡散されて、『水心子正秀(すいしんしまさひで)の弟子で有名なだけ、見た目が良いだけの駄刀』という誤解が広まってしまっている。
ところが近年、世界遺産になった『韮山反射炉』に彼が大きく関わっていたことが江川文庫の研究で明らかになった。
時は江戸時代末期、『松代藩の荒試し』が行われたのは
ペリー来航の嘉永6年。激動の時代に生きた彼を当時の人々はどう見ていたのか。荒試しにはどのような思惑が隠されていたのか。
別に刀に詳しいわけでもなく、日本史を専攻したわけでもない、古文書の読み方なんて知らないただのアラフォー主婦がググった程度の話ですが、それでも直胤の異常なバッシングに一石を投じることができたらいいなと思い、頑張って書いてみます。なんたって直胤は韮山反射炉や台場(洋式の海上砲台)築造・日本初の洋式帆船『ヘダ号』製作の責任者、『江川英龍様』の師匠だもん。私は江川様ファンである。
そしてこれが一番大切なことだが、私は直胤を上げて山浦真雄(「やまうらまさお」だが「さねお」とも呼ばれる)や清麿(きよまろ)を貶めたいわけでは決してない。
(登場人物については後ほど詳しく書きます。)
『真雄と清麿とそれから直胤、みんな違ってみんないい』と思っている。『推し』を褒めるために他の刀工や他担を攻撃するのはオタクのマナー違反だもん。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2024-01-02 07:31:18
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南町奉行池田播磨守頼方(いけだはりまのかみよりまさ)が下す裁断についての、江戸市民たちの評判がすこぶる良い。大見得を切って正義を振りかざすような派手さは無いのだが、胸にジンと染みる温情をサラリと加える加減が玄人好みなのだと、うるさ型の江戸っ子たちはいう。
池田播磨守頼方は、遠山の金さんこと遠山景元の後任の町奉行だ。あの、国定忠治に死罪を申し渡した鬼の奉行として恐れられていた。しかし、池田が下す裁断は、人情味に溢れる名裁断として江戸市民たちの評判を呼んでいく。
幕府勘
定役組頭の奥田源右衛門(おくだげんえもん)が殺された。深夜に、屋敷で首を刺されていたのだ。下手人はどうも、奥田が毎夜のように招いていた女のようだ。奥田は女好きとして有名で、その筋の女を買うことが少なくない。
その関係の殺しとも思われたが、調べが進むと、お役目に関わる事情が浮上して来た。
町奉行池田播磨守は、どうやって犯人を追い詰めるのか。そして、どのような裁断を下すのか。
折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2023-08-13 21:04:40
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会話率:50%
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